本日の結論〜中高生こそ経営戦略を学ぶべき〜
新生活・新学年が始まって約2ヶ月が経ちました。
「こんなはずじゃなかった」と思っている人たちが多数いるかと思います
自分の実力のなさを痛感した時、他者評価が低く、もやもやしている人たちは
きっと「今が分岐点」です
今回はそんな現状から抜け出すヒントになる「経営戦略の話」を提供していきたいと思います
解説する戦略の名は「ブルーオーシャン戦略」です
ブルーオーシャン戦略は、現代ビジネスの重要な概念
まずは概要について簡単に説明していきます
ブルーオーシャン戦略は、競争の空間・世界を海(オーシャン)に例え、
競争のない未開拓の海(ブルーオーシャン)を発掘し、その開拓者となることを目指す戦略です。
開拓者となれれば、その世界で優位な立場を保つことができます
反対に、競争の多い世界を「レッドオーシャン」と表現しています
「ブルーオーシャンへの創造」か「レッドオーシャンでの競争」
どちらに進むのか、考え方次第で「努力の方向性」は大きく変わります
ブルーオーシャンを創造する「4つの「アクション」
ブルーオーシャンを開拓できれば、「独自のポジション」を(一時的に)確立できます
どうすればブルーオーシャンを開拓できるのか「4つのアクション」を解説していきます
- 取り除く・なくす
- 思いきり「減らす」
- 大幅に「増やす」
- 作る・付け加える
この4つのアクションを起こして、既存のレッドオーシャン→ 競争性の低いブルーオーシャンを創造していきます
とはいっても、「野球チームでの生き残り」に置き換えた時にどう考えるかは少し難しいかもしれません
ここからは実際にいた少年の話をしましょう
ある少年のブルーオーシャンへの挑戦
高校に入学して3,4ヶ月が経った高校1年生(16歳)の少年の話です
小学校の時は地元のチーム、中学校では軟式野球部で、内野手(サード、ショート、セカンド)としてプレーし、名古屋市にある公立高校に進学しました
進学先高校の硬式野球部は、直近2年間の夏の大会でベスト16に進出し、「公立の雄」のような位置に来ていました
少年の入学した年の入部者は30名越え
3学年合わせて70名を超え、公立高校では異例の大所帯チームとなっていました
少年と同学年30名の中で最も多かったのは、内野手で明らかに激戦区
その少年も内野守備には自信のある選手でしたが、パワプロ君でいえば、C F D F C(笑)
入学当初からトップチーム入りする選手も複数おり、現状では、力の差は歴然…
このままだとにうまく生き残っても8番セカンド…下手したら守備固めのみ・ベンチ外になる可能性も…
そんな未来を変えたいと思い、決断したのが「投手転向」
結果的に、未来が大幅に変わった決断でした
ある少年が考えた「アクション」
面倒になってきたのでネタバレですが、この少年は私です(笑)
皆さんと同じく「生き残るために」真剣に考え、「独自のポジション」を2年生春夏の時に確立しました
おそらく内野手のままでは、3年生の時にベンチ入りがギリギリだったと思います
私が「未経験の投手」に転向する際に、どう考えたのかを参考までに解説しておきます
戦力分析〜チーム内のバランス〜
まずは、チーム内で「どこのポジションが競争が少ないか」を考えました
投手希望者はその時点では、5名程度だったはずです
同学年は全員が右投げ、オーバーもしくはスリークウォーター
変則投手はいませんでした。※1個上は変則だらけ
圧倒的な能力を持った投手はおらず、「投手」が狙い目かなと考え始めました
自己分析〜どんな投手になれば抑えられるか〜
残念ながら肩力Fの私は、速球投手にはなれないことは明白でした
おそらくMAX110㌔も出せないレベルだったと思います ※高校1年生です
よって、極端な発想ですが「ストレート(速球)を全く投げない投手」はどうかなと考えました
自分が打者だった時に、色々な変化球でストライクを取れる投手は厄介だと感じていたからです
同じ脇役なら「投手の方が面白いかも」と思い、
変則(変化球)投手として生き残るための行動を開始しました
投手転向を監督さんと周囲に伝えた時は「何言ってるの?」みたいな顔されました(笑)
父だけは「面白いかもな」みたいな反応をしたような記憶が…
すでに方向性は自分決定していたので、報告とアドバイスをもらったような気がします
そんなこんなで、
まずは「自分が使える変化球」を徹底的に探ることから始めました
小学生の頃に近所のチーム仲間と一緒に「野球で遊んでいた」こともあり、スローカーブは最初から感覚が分かっていました
本格的な投手は未経験でしたが、こういった遊びの経験が活きました
今ではプロ野球選手の握りや感覚もYouTubeやSNSなどの多くの方法で情報収集ができますが、当時は書籍や雑誌のみでした
本屋やコンビニで変化球特集の書籍を探して、握りを試すといった日々を送りました
結果的に、大きな武器になったチェンジアップも当時、持っていた書籍からマネしたところ、すぐに扱えるようになりました
同点の最終回、2死満塁3−2、サヨナラ負けのピンチでも、思い切り腕を振ってチェンジアップを投げられました
投手転向後、すぐに1年生の紅白戦があった記憶がありますが、その時にはすでにスローカーブ・チェンジアップ・なんちゃってスライダー(キレ0)は投げられたと思います
こうして「ストレートを投げない投手」として、生存競争に挑みました
※正確には速球も投げてますが、全てボール球 or コースギリギリの見せ球
紅白戦や対外試合であまり打ち込まれることなく、2年生春からベンチ入りをして公式戦でも登板するようになりました
少年のアクションを整理する
取り除く・なくす
まず発想として、取り除いた・なくしたのが
「ストレート(速球)でストライクを取ること」
多くの投手が1番頑張るところを私は一切省きました
極端に言えば、静止状態からストレートを狙ったところに投げることは「いつでも出来る・練習する必要なし」と思ってました
今考えると、投手を始める時に、すでにその能力が身についていた時点で「投手向き」だったのかもしれません
小学生の頃に「壁当て」が好きで、家の前からピンポイントに壁の角を狙って投げていたのが、基礎作りになっていたのかもしれません
当時は「ただ好きでやっていただけ」ですが…
ちなみに、大学院の修士論文では「壁当てテストによるポジション判別について」も調査しています
これからは「壁当てマニア」と呼んでもらって構いません
思いきり「減らす」
「ストレートを速くすること」
打者を打ち取る要素として、スピードも大切ですが、この要素の向上には時間がかかります
私の場合、ストレートでストライクを投げなくても、見せ球(ボール球)や速い変化球を身につけることも必要でした
でも最初の段階から取り組むことではないと判断し、スピードアップのためのトレーニングなどは省きました ※冬期に集中特訓
ケガ予防のための、インナーマッスルを重点的に鍛えていました
とはいっても、その当時は全く知識もなかったので、ただ見よう見まねでやっていただけです
間違いなく今の皆さんの方が知識もあって、良いトレーニングができるはずですよ
大幅に「増やす」
先程から話をしている「変化球の種類」はもちろん、野手上がりの長所を活かして
クイック、牽制、フィールディングの良さ
これらを試合の中で、アピールすることを心がけました
投内連携などを普段取り組まないチームだったので、いきなり試合で出来るのは他の投手との差になりました
野手として守りやすい(嬉しい)投手像が分かるので、「テンポ」と「野手への声かけや態度」を重視していました
あとは、球が遅い=走られやすい
このイメージを取り除き、「ランナーを出しても安心して見れる投手」を目指していきました
簡単にスタートを切れないような工夫や刺せる牽制のパターンを作っていきました
牽制は自信もあったので、四球を出してしまうリスクは全く気にせずに投球できるのも私の強みでした
小中学校の時の指導者が投手出身で、投手に指導している際に一緒に聞いていたことが役に立ちました
球が遅い欠点として、一般的にはボールが遅い方がバントはしやすいですが、
バント処理は、自分の手を離れてからの時間で走ることも出来るので、球が遅いのは逆に有利だったと思います
低めに落ちていくボールはバントしずらいのも元野手として分かるので、バントされたくない時はそういった意図を持った投球をしていました
作る・付け加える
他の投手よりも「緩急」と「縦の変化球」の取得は意識しました
人間の目は横に動きやすいですが、縦の動きには弱いという特徴があると知ったからです
手が小さく、握力もなかったため、フォークは断念、
書籍を見て試したチェンジアップがハマり、空振りを取れる武器になりました
同期や先輩・後輩に教えたこともありますが、マネできる人がいなかったので、おそらく自分の投げ方にうまくハマった球種だったようです
緩急については、どんなにスイングスピードが速い選手でも
「思い切り振らせなかったら勝ち」と思って、駆け引きをしていました
「球速差が30キロ以上ある」と打者は意識しないと対応できないようなので、出来るだけ遅いボール(カーブ)を投げるように練習していました
ある少年がブルーオーシャンを創造した後のチームの変化
突然、現れた元野手ピッチャーの活躍により、その後、同学年の内野手がどんどん投手に転向するという異常事態が発生しました(苦笑)
ブルーオーションはずっと安泰ではありません。後から参入してくる選手の方がよければ、そのポジションの優位は奪われます
140キロ近い豪球とスライダーを武器に、のちにエースとなる投手も私の後に投手転向を決めた内野手でした ※こいつは明らかにピッチャーのボールをサードから投げていましたが…
結果的に、チームとしては投手陣のレベルが上がっていき、強豪私学とも互角の戦いをするチームとなっていきました
当時の監督は、入学当初控え扱いの内野手2人が最後の夏、マウンドを守ってるとは夢にも思わなかったはずです
頭を使わない「努力」は普通に嘘つく
今回、私の昔話がしたかったわけではありません
チームの中で「生き残る」ということを最優先に考えた時に、「ブルーオーション戦略」がヒントになることを伝えることが本記事の目的です
『練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。』
メジャーリーグで活躍するダルビッシュ有投手の言葉です。私にはとても響きました
苦しい立場の選手が「闇雲に練習することだけは絶対にオススメしません」
勘違いして欲しくないのは「全員、ブルーオーシャンを目指せ!」というわけではありません
大谷翔平や佐々木郎希、坂本勇人や鈴木誠也など、他者との比較をせずとも、実力でねじ伏せポジションを確立していくことが理想だと思います
その理想と現実のギャップに悩んだ時に、一度思い出してもらえるとこの記事を書いた意味もあります
中学生であれば、まだまだ理想を追いかけてもいい時期です
「今、生き残ることを考えるか」「我慢して理想を追い求めるか」
どのように考えるかは「自分次第」です
ちなみにですが、日ハムの杉谷選手のように「キャラ」で生き残る方法もあります
チームスポーツでは「雰囲気作り」も大切なので、こういう存在も大切です
2人いたら面倒なので、1人でお願いします(笑)
ブルーオーシャンを創造した企業
最後に、社会勉強として、ブルーオーシャンを創造することに成功した企業を紹介しておきます。
興味のある人は、自分で検索して概要を見るだけでも勉強になるはずです
- シルク・ドゥ・ソレイユ=『大人向けのサーカス(エンターテイメント)市場』を創造
- QBハウス=「高機能性の理容市場」を創造
- 任天堂 ゲーム機「Wii(ウィー)」=「子供だけでなく家族みんなで楽しむ」という新しいゲームの楽しみ方を創造
「ブルーオーシャンを制する者は世界を制する」
ちなみに、私は高校3年生(18歳)の時に、父からブルーオーシャン戦略の書籍を渡され、その時に概要を教えてもらいました
皆さんは私よりも早い段階でブルーオーシャン戦略を知ることができて「ラッキー」ですね
基本的な考え方は、普段の雑談の中で教えてもらっていたような気がします
自分自身のブランディングや会社経営はもちろん、皆さんの所属している当チームも一般的な中学軟式野球チームから「4つのアクション」を行い、新たな価値や仕組みを作っています
マンガもありますので、夏の「課題図書」にどうぞ↓
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